1900年代初めの所有者となったピエール・アンドレ氏の祖々父は、南西地区最大の都市トゥールーズの市長であり、同時に国会議員を勤めた名士でした。また祖父母はトゥールーズとナルボンヌでワイン商を営むなど、昔から名家としてワイン業に関わってきました。ピエール-アンドレ氏はモンペリエ大学で法律を専攻した後、公証人事務所で2年働く間に農業関係者以外の人たちに出会っていくうちに、現在普及している「近代農業」に対して距離を置くようになりました。兄のジャン-イヴは、既に1976年からドメーヌで働いていましたし、今まで家族がずっと守ってきた「かけがえのない伝統」を絶やしたくない、そんな思いにかられて家業に戻る決心をしたのです。そして1985年、ドメーヌに帰って兄弟のジャン-イヴと共同でワイナリーを引き継ぎました。こうして蔵に戻ってからは「品質アップ」を目指して果敢にアタックし始めたのです。
まず彼が実行したのは協同組合からの独立です。当時、他の生産者同様、地元の協同組合に加盟していましたが、せっかく立派に育てたぶどうを収穫しても、他の栽培者のぶどうと混ざってしまっては1年間の苦労が水の泡になってしまいます。自分たちの思い描く質の高いワインを造るにはこのままではいけない。こうなれば原点に帰るしかない。昔、この蔵がそうだったように、自社単独で醸造すべく2人は組合を出て独立したのです。ただし、はやる気持ちだけではいいワインは出来ません。技術的な裏づけがなくてはいけないと、醸造コンサルティングを蔵に招いて現場に則した技術を会得していきました。
独立してから、品質向上に向けて生産量よりも品質を重んじた大々的な見直しを行いました。まず、ブドウ畑の改良。赤ワイン用にはシラー、グルナシュ、メルロー、カベルネなどを、白ワイン用にはシャルドネ、ヴィオニエ、マルサンヌといった高貴種に植え替えました。その他、ここでは未熟果を残して完熟ぶどうだけ振るい落せる細かな調整ができる最新の収穫用機械を導入しており、おかげで機械摘みによる青臭さが出なくなりぶどうの熟度が格段に上がりました。
美味しいブドウを生かしたワイン造り」をモットーに、醸造設備も大改良しました。醸造所全体は温度管理ができる上、発酵中を通して温度管理可能なステンレスタンクを導入し、醗酵をコントロール。ブドウ本来のデリケートな香りを残すような発酵を行うようになりました。圧搾機は空気圧を使った「プヌマティック方式」を購入。丁寧な圧搾ができてコロイド状の澱がでにくいタイプで、白ワインの圧搾には最高といわれるものです。これらの設備を導入する目的は、技術に頼ったワインを造ることではなく、発酵温度の急上昇によって果実味を失わないよう、みずみずしい風味を最大限残すワイン造りをするためなのです。
ピエール-アンドレ氏を『ワイン』へかきたてるものは向上心と情熱!これが原動力となってひたすら『より優れたワイン』を追求しているのです。
南仏の有り余るほどの日差しに加え、周囲の山から吹きつける強い風「ロモランタン」が畑の湿気を吹き飛ばして、ミネルヴォア地区は、他より病気の少ない地域といわれます。またラングドック地方の中でも、内陸部に位置するため、朝夕が涼しくこれがワインのフレッシュさとなって表れます。豊かな自然と、特異な微気候のおかげで、豊かな果実とジューシーなアロマのワインとなるのです。