1946年にコート・ドールのショードネ=ル=シャトーで農家の家庭に生まれたジャン=マルク・ブロカールは、1960年代後半に農業の将来が十分でないと判断し、一度は農業から離れてオーセールでエンジニアになった。その後、将来の妻と出会い、彼女の両親がサン=ブリ=ル=ヴィヌーのワイン生産者であったため、ソーヴィニヨン・ブランの生産を手伝うことになった。当時のシャブリは1800年代のフィロキセラ禍から復興しきれていなかったが、ジャン=マルクはワイン生産に再度携わる中で、シャブリというアペラシオンはまだ死んでおらず、不死鳥のように必ず復活すると信じるようになった。ジャン=マルクは自分のワイナリーを立ち上げようと決意した。スタート時には資金が不足していたため、妻の両親からプレイ村に1haの畑を借りて最初のブドウ畑とし、数年後にはそこに自身のワイナリーを建設した。このたった1haのプレイ村の畑が、後にシャブリを代表するドメーヌ・ジャン=マルク・ブロカールの礎となるのである。ジャン=マルクは早くからフランスだけでなく国際市場にも目を向けていたことが功を奏し、世界的な人気を獲得し、結果的にシャブリ復興の立役者となった。